昭和42年12月29日 朝の御理解
先日から、お道の信心は有言実行だという御理解を頂きましたですね。
有言実行、けれどもその有言実行がでけないとするなら、口ばっかりで実際の行いがでけないとするなら、こりゃ、無言の実行をするより他にはない。ね、口ばっかり、口ばっかりに、例えばなら、偉そうに言うて、それがもし実行がでけんなら、やはり無言実行に移るより他にない。
私は今日は無言の行をしようと思う。もちろんそれは、お取次ぎさせて頂くのでございますから、ね、神様に頂いたことやら、ね、必要なことだけは申します。
けども、もう、他のことは一切言うまい。もちろん心にも思うまい、いらんことは、ね、不平やら不足やらのことは、不平やら不足やらのことは、自分で自分の心に言い聞かせたらいい。私は今日はもうほんとに、あの、お侘びの印に、無言実行をしようと、どういうお詫びかというと、有言実行が出来ないお詫びに。
今日は無言実行をさしてもらいたいと思う。ね、皆さんもでけとる方はいい、ね、有言実行でよか、けど言うておることが、ね、でけてない自分である、たとえば、ことに気が付いたら、ね、もうほんとに飲む資格、食べる資格のない私だていうことを一つそ思うてから、ね、とてもとても恥ずかしてものもどん言えるだんじゃなか。ね、といってもっと腹けとけというわけじゃないですからね、腹かくことはないもん。自分が悪いとじゃ、ね、できるだけの修行を今日させて頂きたいと思う。ね、有言実行のでけ無いお詫びの印に、無言実行をしたい。
無言の行をさせて頂きたい。ね、もうほんとに、あの口ほどしもない自分ということをですね、私は今日は、ほんとに自分で感じた。私はそういう、そこんところを頂いていきたいとこう思う。だから、皆さんは、ね、でない、ほんとに実際に言うておることよりも、しておることの方がまだ立派にやっていきよる人もございましょう。そういう人は無言の行なんかする必要はない。
けども自分で、私のように恥じ入るより他にない、口ほどしもないというようなものをもし感じる方があったら、どうぞ私の修行に同調して頂きたい。どうぞ。